旅人気分で歩く浦賀道
1997/5/21号より
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こんな寄り道も歩く楽しみのひとつ(十三峠)

 伊豆・下田から浦賀に奉行所が移されたのは1720年だった。湊のにぎわいと共に、人々は浦賀をめざして海路を、陸路をやってくる。
 浦賀道はそんな頃、盛んに使われた古道なのだ。
 旅は道づれ世は情。我スタッフ4人は、昔を偲びつつワラジをスニーカーに、田浦から田戸の赤門まで辿ってみた。
 さてさて、どんな道中になりますことやら…。

旅の始まりは
家々のガーデニングを楽しみながら

 出発点はJR田浦駅。国道16号を渡り、谷戸の道へ。「あ、キンカンの実!」「月桂樹のいい香り…」などと日あたりのいい家々の庭先を眺めながら、足どり軽く歩き始める。まさに百花撩乱の季節。こいのぼりも風に吹かれて気持ちよさそうだ。
 やがて道は土地の人が「のの字坂」と呼ぶ急坂に。見事な桜並木はすっかり青葉が繁っている。上りつめると、視界が一気に開ける。右手に広がる台地が「城の台」といわれる月見台団地。資料によると、この辺りは北条執権の家臣、秋田城之介景盛の下屋敷があった所で、古い伝説も残っているとか。


浦賀道最大の難所
十三峠へ

 三叉路に戻り、いよいよ浦賀道最大の難所、十三峠へ。今でこそ道は舗装され家も建っているから峠の面影は薄いが、江戸の昔は狭くてかなり険しい道だったと聞く。眼下には陽光きらめく長浦湾が一望だ。かすみの中に房総半島もうっすらと。この素晴らしい眺望が旅の疲れを癒してくれたのだろう。穏やかな入江には自衛隊の艦船が見える。戦時中は、この峠から写真を撮ったりスケッチするなんて、とんでもなかったそうな。
 しばらくはのんびりと道なりに。思いがけず無人の野菜スタンド発見。朝獲りのフレッシュ野菜が並んでいる。とたんにみんなの目が輝く。私達はキヌサヤ(100円ナリ)を買った。ホウレン草も欲しいけど道中長いから…とガマンする。ピンク色の素敵なアメリカンハウスに見とれたり、ウグイスの美声に「ずいぶんじょうずになったわね」なんて…。「峠越え、いと楽し」。


三浦按針も愛した塚山


塚山公園から逸見へ抜ける切り通し

 1時間程で塚山公園に到着。ここはご存知、桜の名所。そして家康の外交顧問として仕えたウィリアム・アダムス(三浦按針)の供養塔が祀られている。逸見の町は、かつて三浦按針の所領であった。遠足かな?子供達のにぎやかな声が公園に響く。ちょっと早いけれど、私達は見晴し台でお昼タイムに。
 木洩れ日の中、切り通しを通って逸見へ。いいね、この感じ…と写真をパチリ。途中「ホタルの里」にも寄ってみた。京急ガードをくぐり抜けると逸見の守り神様鹿島神社だ。社殿の前に立つと、正面の扁額に彫られた力強いアート文字。何と読むのだろう。敬、神、国はわかったのだが…。
 駅へと続く細い道も、浦賀道。古い旅館や酒屋などが残っていて、昔懐かしい雰囲気を漂わせている。


6月にはゲンジボタルの光のショーが


見事なアート文字(鹿島神社)


昔の人の健脚ぶりを
実感した

 「こんにちは」と鹿居酒店をたずねてみる。どっしりとした造り。太い柱や梁が黒光りしている。そして今ではめったに見ることのない「さくらビール」や「灘雪」の看板。きれいですねー。創業は逸見村ができた頃と伺ってびっくり。
 酒店角を右へ曲がり、石段をのぼった高台の道は人が1、2人やっと通れる巾だが、何だか気分が落ち着く。がけのきわまで家が建っているのに驚く。ここからの眺めもおすすめ。横須賀湾やベース、猿島も手に取るようだ。このあたりから少々足が重くなってきた。いやー、昔の人ってほんとに健脚だったのねー。

車に出会わないホッとする道


道標が今も残る
田戸の赤門まで


ち密な彫刻に注目(龍本寺)

 汐入の街中に出ると車がブンブン。旅人気分もちょっと中断。ドブ板通りを抜け良長院脇の階段を上れば、また静かな古道に。あとは足早やに中里神社まで。見下ろす中央の街道も昔は海だったのだ。米が浜のお祖師様といわれる龍本寺で、珍しい宝船の彫刻も見た。
 出発してから約3時間、今日の旅は田戸の永嶋家赤門でフィナーレとなる。
 “右大津浦賀道”“左横須賀金沢道”と刻まれた古い道標が、昔を偲ばせていた。白砂青松だったこの辺りで、旅人はひと休みしたのだろうか。


威風堂々とした田戸の赤門


大イチョウの若葉が美しい中里神社



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