海辺歩きを楽しもう・パートII
知るほどに深まる横須賀の魅力
観音崎から久里浜ペリー公園へ
1998/11/21号より
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江戸時代の御座船をイメージして造られた浦賀の渡し船
1998年9月にデビュー

 6月号の「海辺歩きを楽しもう」ではJR横須賀駅から観音崎まで歩きましたが、今回はその第2弾として、観音崎から久里浜までの最も海辺寄りのコースを歩いてみました。
 爽やかな秋晴れのなかを行く、小さなちいさな旅には、歴史的な見どころもいっぱいつまっています。


灯台を見て鴨居・東浦賀へ


懐かしさがこみあげる東浦賀の路地

 京急馬堀海岸駅から観音崎行きバスに乗り、終点で下車。10時、さぁ今日はここが出発点。つわぶきの花が彩る海沿いにのびる敷石を行くと、目の前の緑の雑木林の中に白亜の灯台が優美な姿を現した。超過密な浦賀水道の船を守って130年になる観音崎灯台だ。(現在は3代目。入館有料・月曜休)。また、一帯に点在する砲台跡が戦前まで要塞地帯だったことを思い出させるが、南国的な自然環境が訪れる人の心を開放してくれるようだ。小さな素掘りのトンネルを通って、たたら浜へ出たら黄色いイソギクの群落が迎えてくれた。

 観音崎大橋の手前の路地を入ってみる。昔ながらのどっしりとした家や蔵のある家並みに由緒を感じる。ここが知る人ぞ知る、明治12年、市内米ケ浜一帯を埋立て、若松町を造成した高橋家である。同家はこの地が会津藩領の時、藩御用として会津若松の「若松屋」の屋号を拝している。
 橋から鴨居を望むと、海に突き出した小さな半島がある。この鼻に観音寺(昭和61年全焼)があったことから観音崎の地名がつけられたという。
 「とっぴきぴー」踊りで有名な鴨居港で、帰ってきた船を覗いてみると、きれいな虹色をしたベラが網の中ではねていた。


海を渡って西浦賀から長瀬へ


川間分工場で使われていた船台跡

 天然の良港、浦賀湾を渡りながらこの港を利用して繁栄した浦賀造船所の推移を思う。かつてこの会社の領域だった川間の地には、シティ・マリーナ・ベラシスが誕生し、新しいリゾート地として生まれ変わっている。


平成元年に復元された浦賀灯明堂

 江戸時代、首切り場でもあった灯明堂のある浜に立つ。1837年、日本の漂流民を送り届けに来たアメリカの商船、モリソン号を幕府の無ニ念打払い令によって浦賀奉行が大砲を轟かせ追い返してしまった。望郷の想いに狂う漂流民や、引かれて行く罪人の涙がしみこんでいるだろうこの白浜は、その悲劇に似合わずあくまで美しい。


145年前、ここ久里浜沖に黒船が4隻現れた

 灯明堂から引き返し、左手坂道の古いトンネルを越えると久里浜の長瀬。港研を過ぎ、平作川の河口に架かる開国橋を渡ると、黒船が上陸した久里浜海岸だ。その記念碑や記念館(月曜休)が建つペリー公園でフィナーレ。15時、約13000歩だった。



街角ウォッチング


浦賀湾西岸で見つけた和洋折衷の家。
築は昭和初期頃?


観音崎の海の青と生垣の緑、
蔵の白壁が印象的


タイヤを利用した楽しいハンギング。
東浦賀の軒下で


鴨居の海辺の門柱に置かれた、
たこつぼのプランター



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