三浦に残る
絵馬でねがう平安
馬は神様へ橋渡ししてくれる
1998/12/16号より
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 馬は神とのかかわりあいが強く、天空と俗世の橋渡しをする神様の乗り物であると考えられていた。そんなことから、神への願いごとや成就した時の御礼に、上層階級には生きた馬を奉納する慣わしがあった。吾妻鏡にも源頼朝が、妻政子の安産祈願として、横須賀宋元寺に神馬を奉納したとの記録もある。
 それはやがて「生きた馬」から「馬形をした模型」となり、さらには板に馬の絵を描く「絵馬」へと簡略化されていった。江戸時代中期になると、絵馬は民衆の生活に沿った願いごとを主な画題とし、次第に「大絵馬」から「小絵馬」と呼ばれるものに移っていったのである。


日蓮上人の説法で
七面天女になった図
下宮田 延寿寺


日蓮の鏡には鬼面が映る(部分)

 三崎口駅からは歩いて7、8分で初声農協の信号へ。そこを左手(海側)へ入っていき「こっちかな?」などと迷いながら7分ほど行くと、下宮田の延寿寺にたどり着いた。途中、牛や鶏舎前を通過したので道草が多かったけど。
 この延寿寺は鬼子母神や七福神の大黒天もお祀りしているので初詣に訪れる人も多い。境内には航海の無事を祈って植えた、なんじゃもんじゃと呼んでいるナギの枝葉が、500〜600年のカンロクを見せていた。
 絵馬は日蓮上人が身延七面山で説法中の出来事をテーマとした舞台の役者姿を描いたとされる。方座の日蓮上人(右上)が説教中、怪しい美女が現れたが日蓮の持つ鏡には鬼面が映る。たちまち美女は大蛇の正体を現した。が、日蓮の説法で大蛇は七面天女の姿に変り天空に飛び去っていった…。この絵馬は明治六年、歌川国鶴により描かれたもので、端麗な筆さばきが見事だ。(絵馬はお参りの際、本堂で拝見できる)


示唆に富む
韓信の股くぐり図
三崎海南神社


大成する人は、ささいな事にはこだわらない…韓信股くぐり図

 三崎の漁港を背にして、石畳の道をしばらく行くと、巨大な銀杏が金色に光っていた。この辺りのシンボルのひとつ、海南神社の歴史は気の遠くなるほど古い。毎月1月15日の民俗芸能「ちゃっきらこ」でもつとに知られた神社である。
 境内上段、右手の神馬舎には木造の白い神馬が納められていて、その外壁には今も毎年初詣の人々が受験、結婚、就職…など祈願した小絵馬が吊り下げられている。
 拝殿内右には「韓信股くぐり図」が奉納されている。額縁に隅金具を付けた豪華な大絵馬である。江戸時代末期の絵師、一寿斉国貞によるもので、中国の故事を題材としたものだ。
 さて、韓信は中国の武将で漢王に仕え後に楚王となった偉人という。彼は若い頃、市中で屠殺場のヨタ者によるはずかしめを我慢し、その股下をくぐったという。大望を遂げる者は、ささいなことにはこだわらない――という示唆をこめているのだ。金地の背景に調和する唐風の服装、人物の動きなど巧みな表現で見る人を圧倒する。


珍しい洋画の絵馬
宮城 音岸寺(おんがんじ)


観音様ご開帳には、遠くからお参りにやってきた

 三崎新港前のパチンコ屋脇の道へ入り、石段を登れば、城(じょう)の観音で知られる音岸寺(おんがんじ)へ出る。閉じられたガラス戸越しにのぞくと、右奥には三浦観音霊場第一番札所、音岸寺のご開帳の賑わいを描いた、珍しい油絵の絵馬が。明治十三年頃の巡礼の旅姿の描写でおかげ参りの図である(毎月18日はご開帳される)。
 音岸寺境内は決して広くはないが、晴れた日の富士の眺めは価千金だ。


風待ち湊だった小網代
白髪神社の船絵馬


朗報を待つのか…松の木の下で

 小網代湾の海面はいつも穏やかだ。古く、紀州材や真鶴石などを積んだ江戸への船が、この湊で強風が治まるのを待ったという。そんな入江の樹間に白髪神社は建っている。海上安全の神・中筒男命を祭神として祀り、また、七福神のひとつ、寿老人も祀られているので初詣に立ち寄りたい。
 絵馬は松の木の下で男女三人が祈願する図。松は「待」の意がある。何を待つかは神仏がご存じだ。


よく見ると薄い板で細かな仕上げがほどこされている

 また、左手上には銅板に薄く削った木材を釘づけし、船の模型を型どった大絵馬が拝見できる。細かな手仕事に船人たちの願いがこめられているのであろう。(横3メートルに近い大絵馬は外部から拝見することができる)



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