
(題字:高橋幸子)
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平家討伐の石橋山合戦に大敗した頼朝の一行は、衣笠合戦に敗れた三浦一族と海上で合流。治承4年8月29日安房に上陸した。9月23日、かねて源家に忠節を示す小山、下河辺、豊島、葛西らに対し参向を促す書状を送っているが、その文中に次の記述があって注目される。「また綿衣を調達すべきの由、豊島右馬允朝経の妻女に仰せあると云々。朝経在京の留守の間なり」―つまり豊島朝経夫人は夫の留守中、頼朝から軍用衣類の調達を命ぜられたのだ。武将の妻は不在の夫に代って、所領を守り経営する責務と権限をもっていたことが分かる。当時の衣料は麻布など植物繊維か絹布に限られており、まだ木綿は存在しなかった。文中の綿衣とは繭か麻で紡いだ真綿布を用いた衣服のことらしい。朝経の館内には大量 の衣料が常備されていて、侍女らの手で素早く仕立てることが出来たのであろう。領内では養蚕や機織りも盛んであったと思われる。頼朝軍のためどの程度調達出来たか不明だが、領内物資の生産や流通 も配慮し、夫と対等に采配を振る武家妻室の地位は高かったといえる。 吾妻鏡によると同じ治承4年11月10日の条に、これも気になる妻のあり方が記されていて考えさせられる。「武衛(頼朝)丸子庄をもって葛西三郎清重に賜う。今夜かの宅に御止宿あり。清重妻女をして御膳を備えしむ。但しその実を申さず、入御結構のため他所より青女(若い女)を招く由言上すと云々」―なにやら意味深長な言い廻しだが、丸子庄を拝領した清重が自邸に頼朝を宿泊させるに当たり、どんな接待をしたらよいか心を砕いた様子が推察される。詳しくは次号にて。 |
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