
(題字:高橋幸子)
INSIDE OF AZUMA-MIRROR
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貴賓の来訪を手厚くもてなすのは古来の風習であるが、吾妻鏡では将軍家の訪問を「善美を尽くしてもてなす」と表現し、数多くの事例が記録されている。なかでも三浦氏の豪勢な接待ぶりは常に話題となった。 頼朝が葛西清重宅に宿泊したのは佐竹討伐の帰途である。治承4年8月の挙兵以来慌しい日々を過ごしていたが、10月6日には東国武将らを麾下に従え、堂々鎌倉入りを果 たしている。18日には富士川に出陣、続いて20日、平家軍が水鳥の羽音に驚いて逃走したため戦わずして勝利を収めた。義経と対面 したのもこの時である。11月には対立する同族の常陸佐竹氏の討伐に向かった。謀略を巡らして降伏させ、鎌倉へ引き揚げる道すがら清重宅へ宿泊したのである。清重は戦陣の疲れを癒す遊宴に、妻女の接待では気兼ねもあろうかと他所より若い女を招いた体にして、妻を頼朝の席に侍らせた。頼朝はその心遣いがお気に召したらしく、以来清重は格別 の信頼と恩寵に与っている。清重の正妻は頼朝が父とも慕って一目置く千葉常胤の息女だが当時は妻室を数人もつのが常だから、どの妻女が奉仕を受け持ったかは不明だ。これも主君への忠誠の証しと、すんなり受け止められるご時世であった。だが、吾妻鏡の思わせぶりな記述には何かの暗示とこだわりが込められているようだ。歴史を動かした源頼朝の隠された秘密を解く鍵は吾妻鏡が握っている。 頼朝の側近中の側近、安達藤九郎盛長は比企尼の息女丹後内侍(たんごのないし)の聟として、配流中の頼朝に献身的に仕え挙兵を支えた功臣である。妻の内侍は歌人として宮仕えもした才女。頼朝とは幼くから乳姉弟として睦み合い、終生濃密な愛情で結ばれていたようだ。不思議なことにあの嫉妬深い政子が内侍と頼朝の関係には実に寛大なのだ。盛長に対しても好意的である。一体何が政子をそうさせたのか? |
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朗読:石川 亜美
(FMブルー湘南・TVKを経て、アナウンサーネットワークearn代表)