朝日アベニュートップ

 

 標高242m、三浦半島の最高峰である大楠山は、関東百名山のひとつに数えられ、360度の素晴らしい眺望とともに、春は菜の花、秋はコスモスと一年を通して訪れる人を楽しませてくれる。
 大正5年生れで今年86歳の高橋キノさんは、今も現役で山頂にある売店でお店番をしながら、登ってくる人たちを温かく迎えてくれるこの山の「看板娘」だ。
 19歳で結婚、4人の子供にも恵まれた。昭和23年頃から開墾した山の中腹で花を作っていたキノさん一家が、山頂に移り住んだのは昭和33年。横須賀市から売店の管理を委託され、それから現在までの40数年間をここで過ごしてきた。
 平成元年にご主人を亡くしてからは、気丈にも一人暮らしを続けているキノさん。「雨の日でも雪の日でも毎日10時にはお店を開けるようにしています。来てくれた人に悪いからね。山を下りるのは病院に行く時くらいで、年に数回。1人が寂しいと思ったことはないですよ。お客さんといろいろ話ができるし、皆親切にしてくれるし。お客さんがいたからここまでやってこれたと思います」と、日焼けした顔をほころばせながら、お年を感じさせない張りのある声で話す。何事にも動じないおおらかさは、大楠山の澄んだ空気と豊かな自然の中で暮らしているせいだろうか。
 そんなキノさんの一番の思い出は、平成4年1月に天皇皇后両陛下と紀宮様がお忍びでいらっしゃったことだ。事前の連絡もなく突然の事で緊張していたキノさんに、皇后さまは亡くなったご主人のことを尋ねられたそうだ。また階段を降りる時には、やさしく手を差し伸べてくださったとか。「こんな幸せなこともここにいたおかげと、今までの苦労もいっぺんに飛んでしまいました」と、嬉しそうだ。「お宝です」という、その時の写真がお店に飾られていた。
 最近は持病の神経痛で、階段の上り下りがつらくなり、近くに住む息子さんやお嫁さんの手を借りることも多くなったというが、《自分で出来ることは自分で》をモットーにしているそうだ。「ここの静かな生活が一番好き。これが自分に与えられた仕事だと思えば苦にもならないし。死ぬまでここにいたいね」と、きっぱり。大楠山はキノさんの人生そのものなのだろう。