★ガリバーは「三浦按針」だった?
このガリバーのモデルは、三浦按針ではないか?という説がある。それは時田八千代さんが、暮らしの手帖14(1988,6,7月)で「ザモスキはどこ?」という中で述べている。
Xamoschi Kannosaki
似ている。間違えやすい。へそまがりのスウィフトが故意に変化させたのかも……
でも、こんな小さな港町を、18世紀、アイルランドのスウィフトが知っていたのだろうか。さらに調べていくと、面白いこ事実に至った。1600年、豊後の海岸に漂着したイギリス人ウイリアム・アダムズは、日本に帰化して、名を三浦按針と改め、観音崎の近くに住んだ。そのアダムズの書簡集が、原作者スウィフトの書架に残されていたのだ。按針の測量した、この周辺の地図もスウィフトは見ていたにちがいない。
ザモスキは観音崎。これで謎が解けた! (時田 八千代)
パーチャスが東洋方面の航海記録や紀行を1625年に著した「廻国記集」に、三浦按針がイギリスの妻に宛てて書いた多くの手紙が掲載されている。この本をスウィフトは所蔵しており、三浦按針をヒントにガリバーを日本、それも三浦半島に訪れさせたのではないかと考えられる。 (桐ヶ谷 良之)
三浦按針 ウィリアム・アダムズ
●1600(慶長5)年、オランダ東洋探検隊の航海長としてリーフデ号に乗って渡海。船の難破により豊後国に漂着。
●徳川家康の外交顧問として、相模三浦郡に知行を与えられ、肥前平戸におけるイギリス商館の開館に尽力。しかし1613(慶長18)年に平戸に入港したイギリス軍司令官ジョン=セーリスとの折り合いが悪く、後に按針にイギリスへの帰国が許された際もセーリスとの同じ船で航海することになったために帰国を断念。
●その後は平戸イギリス商館長リチャード・コックスとともに貿易振興を図り、1620(元和6)年5月16日、平戸にて没。57歳。
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