▼開国の町・横須賀 

 
 1853年7月14日は、6日前に浦賀沖に来航したペリーが、フィルモア大統領からの国書を幕府に引き渡し、江戸幕府が200年以上にわたって敷いてきた鎖国政策にピリオドが打たれた日であった。
 15艘のカッター(当時バッテイラと呼んでいた)に分乗した海兵隊300人が警固のために上陸し、音楽隊の演奏に合わせて、隊列を組んだ行進が始まった。
 幕府側は江戸湾警備の任にあった彦根、川越、忍、会津の各藩から3000人以上が警備していたが、この警備の武士が一様に驚きを隠せなかったことがあった。
 それは、海兵隊の行進であった。先頭の指揮官の指図ひとつで、全員が右を向き、回れ右ができることと、膝を上げて、しかも右足が前に出ると左手が前に出、左足が前に出ると右手が前に出るという器用な歩き方に驚きを隠せずにいた。
 アヘン戦争で大中国が敗北し、その情報が日本に入って来ていただけに、欧米諸国の強さの真髄を見せつけられるような思いであった。
 その証拠に、この後まもなく、藩兵の教育に隊列を組んだ行進が取り入れられるようになった。
 これは明治維新後には学校教育にも受け入れられ、現在の私たちに受け継がれて、全くの常識的なことになったが、これも近代日本の政策に育まれた結果 である。
 近代日本は様々な分野で、日本人のスタイルを大幅に変えることになったが、そのいくつかはこの横須賀からのものであった。こうしたことを掘り起こし、開国以来何がどのように変化したのかを見、その変化は私たちにとって本当によかったのかを探ることで、21世紀への糧にしよう。             
(浦賀・山本)  <TOP>