浦賀ドッグ入口と通り

   近年、工学部の受験者数の減少が著しい。受験科目の物理や化学離れのほかに、技術や工学になじむ機会の少なさも大きな原因であろう。
 製造業の衰退、伝統的大工や左官の減少など、かつてはどこにもあった町工場や作業風景が見られず、幼、少年期に技術や工場になじむ機会はない。施設の必要性が叫ばれる。
 ところでこの種の施設に、歴史的工場を利用した動態保存野外技術ミュージアムがある。技術先進国のイギリス、ドイツでは18〜20世紀の紡績工場や炭坑施設跡などをミュージアムとし、歴史的産業技術を直接目に見せ体験させている。ヨーロッパの人々の技術への思いは繊維、鉱工業、炭坑、船舶などの工場施設の野外ミュージアム設置や年齢、性別を問わない多数の訪館者、世界遺産への申請登録の急増などからうかがえる。
 日本の近代産業は150年の歴史を有し、ヨーロッパ技術の移転史のうえでも貴重な工場がいくつも見られた。中国や韓国などへの工場移転により日本の歴史的工場の閉鎖がしばしば聞かれるが、工場の野外ミュージアム案や産業遺産利用の声はほとんどない。
 最近、産学共同研究や世界に通用する「トップ30」大学選定など、高度技術では政策が掲げられているが、青少年が体験を通して技術に親しみ学ぶ、野外技術ミュージアムには向けられていない。国立博物館もこの部門は持たない。
 歴史的工場の閉鎖は野外ミュージアム設置の好機である。極めて少なくなった技術的価値を持つ工場として、今年度で操業を止める住友重機械工業の浦賀ドックを挙げたい。
 わが国初の洋式大型帆船軍艦「鳳凰丸」を建造した地にあり、咸臨丸修理のドック跡や滑り台式の大型船台、乾ドック、大正時代の家屋、クレーン、由緒ある接岸岸壁など、船を造る産業遺産一式がそろっている。
 工場景観と併せて世界遺産への道も期待できる。野外ミュージアム設置の検討を企業の前向きの声として上げることを、ぜひお願いしたい。

(産経新聞 2002.8.30)



 

住友重機械工業の浦賀ドック

 

 ■赤レンガ倉庫など
 歴史的資産の保存活用
 横浜「みなとみらい21」の新港地区にある横浜赤レンガ倉庫が、21世紀初めの今年、見事に甦った。
赤レンガ倉庫はわが国近代港湾発祥の地、新港ふ頭に明治40年〜大正2年にかけて建設された。
『ハマの赤レンガ』と呼ばれ、多くの市民に親しまれてきた赤レンガ倉庫。これを貴重な歴史的資産として保存活用するため横浜市が国から取得、建物の補強工事を行い、『港の賑わいと文化を創造する空間』として横浜らしい文化と市民が憩い・賑わう場所をここに作りあげた。こうして、わが国最大級の赤レンガ倉庫が平成14年の夏、ワールドカップの決勝戦でにぎわう横浜に新しい彩りを添えた。
 また、群馬県ではJR横川機関区構内跡地とその周辺が、碓氷峠の鉄道システム保存をメインに「横川鉄道文化むら」としてEF63などを動態保存している。

 


 ■歴史的工場、産業遺産
  一式がそろう貴重品! 

 岡山理科大学の若村国夫教授は産経新聞(8/30)に「歴史的工場の閉鎖は野外ミュージアム設置の好機である」と提言している。
 
 かつて地元の人々とともにあった浦賀の住友重機械工業・浦賀ドックは、開国150年の来年3月、その操業をすべて止める。ここはペリー来航の嘉永6年、幕府がわが国最初の本格的洋式大型軍艦「鳳凰丸」を建造した所であり、咸臨丸の修理、滑り台式大型船台や乾ドックなど、日本の造船の歴史そのままが産業遺産として存在している。若村教授によると、技術先進国のイギリスやドイツでは、18〜20世紀の紡績工場や炭坑施設跡などをミュージアムとして、その歴史的な産業技術を直接見て体験できる様にし、さらには世界遺産への申請も数多くされているという。
  私たちは、『宝の山』に囲まれていて、それを知らないのだろうか。


 

 

 


浦賀に縁の深い雷電、小林一茶の絵が工場に

●倉敷アイビースクエア(岡山県倉敷市)
  
 近頃、古い倉庫をショッピングセンターに改装したり、工場を博物館などに再活用するなど、近代化遺産のリニューアルが盛んに行われるようになった。しかし、平成元年頃は未だ、近代化遺産と言う言葉さえなかったくらいで、古い工場や倉庫は、単なる老朽施設として、再開発の時など真っ先に取り壊された。
 
 古い工場もリニューアルの仕方で素晴らしい建築作品となる。未だ日本で産業遺産・近代化遺産の保存活用がほとんど行われなかった時代にいち早く、紡績工場を残し、現代の用途に合うように再生に取り組んだのが、岡山県倉敷の建築家、浦辺鎮太郎であった。
 浦辺は、クラボウの発祥の場所に残る明治22年に建てられた旧倉敷紡績工場を『倉敷アイビースクエア』というホテル・展示場・工房などを持つ複合施設として再生させた。オープンしたのは今からおよそ30年前、昭和49(1974)年のことであった。アイビースクエアは工場の赤いレンガ壁に緑のツタが絡まる広場のこと。工場建物の一部を取り壊して中庭広場を作った。現在この場所は観光客の憩いの場となっており、広場を取り巻くように配置された工場建物を再利用したホテルやレストラン、展示場、工房などに多くの人が訪れている。
 当時のクラボウ社長・大原総一郎と建築家・浦辺鎮太郎は、倉敷を模範的な地方都市にしようとした。伝統的な町並みの保存とその中心にある煉瓦工場の保存再生は、現代の町づくりの一環として行われたのだった。
          

<週刊朝日 2002.9.27号『地図に残る仕事』[PR・大成建設」より>