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(写真・果胡みらい) |
| 自分の母を「おかあさん」と呼ばなくなってから数年がたってしまった。 きっかけは、二十歳をすこし過ぎた頃、私の誕生日に母が言い放った一言にある。母は私に「もうこれからは、おかあさんとは呼ばないで」といったのだ。 今後は私や弟の母親としてではなく、ひとりの人として生きようと思うから下の名前に「さん」をつけて呼んでね、といった台詞をききながら、一瞬、「もしや父親のほかに恋人でもできたわけ(それならそれでもいいけど)?」と訝しんだ。だが、恋愛にうつつをぬ かす私を、よくやるよねと、あきれた様子で、つねに超然とした態度で眺めてきた彼女は「あんたじゃあるまいし、そんな面 倒なことはもうごめんだから」と私の疑問を一笑し、私も子離れしなくちゃいけないし、とつぶやいたのだった。 だからいま、私は母を「ゆっこさん」と呼んでいる。なぜ彼女が自分の呼ばれ方についてこだわったのかは、わからない。ただ、私には、母親の子どもに対する感情や役割を、学問的な言葉を使って、否定的に語り意味づけていた時期があって、その頃、「母親」という存在に向けてぶつけてしまった心ない言葉の数々を憶いだし、すこし寒々しい気持ちになった。 それにしても、「もうおかあさんと呼ばないで」といった母は明るく、意志そのものを感じさせる言葉はどこまでも強くて、そのときの彼女はとても魅力的だった。「わかった、じゃあ、これからは、ゆっこさんと呼ぶね」とだけいって、どうしてそんな気持ちになったのかを訊くのはもうすこし後にしようと、こちらも明るい気分でそう思った。 実は、そのことを母にはいまだ、きちんと訊くことができずにいるのだが、それから私は母の意志に対して、私なりの敬意を込め、彼女を「ゆっこさん」と呼び続けている。母の方は、本当にちょっとしたはずみで、一人称に「わたし」ではなく「おかあさん」を使うこともあるのだけれど。 ときどき、とてつもなくつらいときや耐えられないような痛みを感じてしまうようなときに、気づかずにふと、「おかあさん」という言葉を漏らしてしまうことがある。そんなとき、私の口からこぼれたはずなのに、その言葉が私からはとりかえしのきかないほど遠く隔たったところにあるようで、その一瞬はなんだかひどく切ないような気分になる。 |
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青葉のみずみずしい、透明感のある五月の日曜日、隣町まで髪をトリートメントしてもらうために電車に乗った。海の見える美容院があるから。高台の緑の多い静かな住宅街の駅のすぐ裏にある。 |

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毎年12月になると、小さなアパートのドアに手作りのクリスマスリースを飾る。友達の家に行った時、素敵な手作りのリースがかかっていたから。赤いトウガラシと、ベイリーフの葉を糸で結んだだけのものだけど、シンプルなさりげないリース。 私のアパートのドアを飾るのは、赤と緑色のクリスマスリース。輪の蔓にモミや杉の枝を挿し、近くで拾ったドングリや松ぼっくりをつけ、サルトリイバラをからませたもの。仕上げは外国製の赤いリボン―ソリに乗ったサンタクロースが描かれていて―それは幼い頃読んだ絵本のクリスマス。ある年のこと、好きな人ができて、海を見たいというので、私は車を運転して、彼と海沿いの道をドライブした。 海につきでた駐車場で広がる海を見て、彼がポツンとつぶやいた「汚い海だな」。帰る道は渋滞していて、車の中では交わす言葉もなく、二人でいても淋しいということを初めて知った。その人とはそれっきり…。 その年の12月は、小さな、海の匂いのするリースを作ってみた。輪になった蔓に巻き貝や、海草のかけら、波のいたずらで丸くなった白や水色のガラス。それらはいずれも葉山の海からの贈り物…。それに指先からすべり落ちた青いビーズをボンドでつけて、水色のほんのり透き通ったオーガンジーのリボンで結んで、ドアに飾った。 クリスマスが終わると、ひとりで海辺に出て、持ってきたリースの飾りをひとつずつはずし、巻き貝やガラスを海にそっと帰した。夕暮れ時で海は夕焼け色に染まっていた。でも冬の陽は短くてすぐに夜になってしまったけれど。
この間、花屋で夕焼け色のばらの花を見かけた。今年はちょっぴり奮発して生花のクリスマスリースを作ってみることにした。 ばら、フランネルフラワー、スノウホワイト、淡い緑の色のままのアジサイ、花屋をいろいろ回って、好きな花だけを少しずつ求めて。近くで採った黄色のセンダングサ、駐車場の片隅の赤い野ばらの実…。 丸いオアシスに色合いを考えながら挿していく。夕焼け色のばらの花のやわらかな甘い香りは、少し切なくて。でもはなやいだ気持ちになっていた。 毎年、クリスマスには手作りのリースでアパートのドアを飾りたい。たとえ、イブの日に訪れる人がいなくても…。 (写真・果胡みらい) |
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